たためる椅子、誕生の秘話
 ~吉村順三の言葉で紐解くストーリー

文:家具デザイナー・丸谷芳正

――――――「必要な時に必要な数だけとりだして使える日本の“座布団”は、昔の人々の残してくれた素晴らしい生活用具。座布団のように簡単に小さく畳めて持ち運びも便利で、掛け心地は勿論ですがオブジエとして形がよい、狭い所にも仕舞える椅子をつくりました。」(吉村順三)

「たためる椅子」は、1990年に発売されて以来、現在まで2000脚近く作られた。
今もって吉村順三ファンから吉村先生をご存知ない方まで幅広い層の方から注文をいただく。この椅子の魅力はいったい何処にあるのだろうか。奇をてらったところはまったくなく、控えめなデザインのせいか地味に映ってしまうが、この椅子の魅力は実際に見て座ってもらうとわかってもらえることが多い。

01 吉村先生の自宅・南台の家で開発会議が始まる。

―――――――「たためる椅子は、試作を何回したのかわからないね。とにかく四年の試作期間がかかったのだが、まだまだ試作改良していく必要性があると思う。テザインするということは、息の長いことなんだ。中村君、丸谷君と三人で、ときどき打ち合わせをやりながら、テーマを決めて改良しつづけていくのが大事だ」。(吉村順三)

ここに「たためる椅子」を発案したときの吉村順三のスケッチが残っている。

当時リハビリ中であった吉村先生のスケッチの線はふるえていたが、「たためる椅子」の構造を的確に表現していた。力強くとても魅力的なスケッチである。このスケッチを元に1985年秋に開発がスタートした。
当時、吉村設計事務所退所後、自らの建築設計の傍ら吉村設計事務所の家具を担当していた中村好文氏と、小さな家具工房を経営していた私とで、吉村先生を囲うように三人で「たためる椅子」の開発がはじまった。
今でもこの三人の関係は不思議だと思っている。中村氏は以前吉村設計事務所のスタッフとして働いた経験があるため不思議はないが、私は部外者であるし、開発の依頼を受けたわけでもない、実際は私のほうから加えさせてもらったという方が正しい。
たためる椅子の始まる一年ほど前に中村氏から「吉村先生に合った座り心地のよいハイバックチェアーをさがしている。市販でなかなか良いものがないので丸谷君つくってくれないか」ということで、吉村先生のご自宅である南台の家のために椅子を設計製作したことがある。その時も同じ三人で話を進めたので、「たためる椅子」開発チームの前身となったのかもしれない。このときの吉村先生は、クライアントとしての立場を徹底されていて、椅子の座り心地のみを指摘された。私をデザイナーとして扱ってくれたのかもしれない。そんなわけでこの不思議な三人組は三~四か月に一回集まるというゆったりしたぺースでスタートした。
まず中村氏がスチレンボードに、シートを模した薄布を張った五分の一の「たためるラフモデル」をつくった。それを受け取りまず図面を起こした。その後は、図面と原寸模型を作ることを繰り返した。図面と座れる原寸模型が出来上ると、南台の吉村自邸に集合ということを繰り返した、そろそろ集まろうという催促が吉村先生から出ると、あわてて図面と原寸模型を作ることもあったが……。
心地よい南台の吉村空間での開発会議を通して吉村先生の設計スタンスをじわじわと教わることになった。

02 驚きの発想!木製ヒンジの採用。

――――――「ヒンジがなかなか大変でね。はじめは、金属だったのだけれども、木でやれないか、ということでカシを使って成功した。金属のヒンジでは持ち出しの部分が大きくて、たたんだ時に美しくない。それに、この部分が金属のヒンジでは木が痛々しく思えて良くなかった」(吉村順三)

ヒンジとは、椅子の支柱と支柱繋ぐ蝶番(ちょうつがい)のことである。

当初はまずヒンジが間題となった。三人の中でも金属、プラスチックなどが候補に上がった。持ち出し部分の寸法が大きく、吉村先生のみならず中村氏も僕も納得していなかった、三回目の会議だったと思うが、前の晩、吉村先生がヒンジを木製にするというアイディアを思いつき、その晩は典奮してよく眠れなくなったらしい。そのアイディアを聞いた自分は、なまじ木材加工を専門にしているためヒンジを木材で加工するという発想が生まれず、むしろ強度不足で無理だという思いが先に立った。技術屋の固定観念というところだと思う。とにかく作って検討しようということになり、手持ちのホワイトオークでヒンジを作り再び三人で検討した。これが悪くない。むしろ美しい。持ち出し部分のボリュームが木だから気にならない。もちろん強度の不安がなくなったわけではないが、樹種の選択と木の異方性による性質をどのように利用あるいは避けるかという詰めの話で解決できると直感した。吉村先生のアイディアは正しかった。ここから開発は一気に進んだ。

03 開発の充実の裏に、八ヶ岳高原音楽堂。

――――――「普通のフォールティングチェアーは仮に座っているという感じだけど、このたためる椅子は本椙的にちゃんと座れる椅子だ。座り心地の良さがある」(吉村順三)

一気に進んだといっても、ひとつひとつ解決するのにやはりそれなりの時間と費用がかかった。シート素材としての革と布地の検討、麻キャンパス地の開発、人体を支えるウェービングシートの検討、重量を決定するメインフレーム材の選定、という素材の決定には時間をかけ、日本のあちこちに出かけた。吉村先生からは細かい指示は受けなかったが、この椅子にはそうさせる何かがあった。
しかしながら開発にはどうしても費用がかかる。この間題を解決するプロジェクトが吉村設計事務所で進んでいた。それは「八ヶ岳高原音楽堂」だった。

RC造に木造の小屋組が載ったこの美しい建物は、250名が入れるコンサートホールを持つ。コンサートに応じて椅子の脚数を調整するため、残った椅子は倉庫に収納される。多分、吉村先生は当初から「たためる椅子」の導入を考えていらしたと思う。
木製ヒンジの採用で開発の見通しがついた頃、「八ヶ岳高原音楽堂」での「たためる椅子」の採用の可能性があるとの話が先生の方から出た。最初は半信半疑で聞いていたがどうも本気らしい。これまでの開発の成果が試される絶好の機会ではあるが、逆に恐ろしくも感じた。
しかし、時間がたつにつれて話が現実味を帯びてきた。これまで小ロットの経験しかない小さな工房にとって300脚は大きな数だった。実際には、「たためる椅子」150脚分を「たためない椅子」にして、クライアントの傘下の工場に発注することとしてコストを下げ、設計監理のみを行ない、残りの「たためる椅子」150脚がわが工房での製作となった。
「八ケ岳高原音楽堂」での「たためる椅子」の設計監理と製作は開発の費用面を助けるだけでなく、品質を高めた。木材の品質管理、座り心地の改善、シートの縫製技術の工夫、また何度もフレーム寸法を変更した。第一期開発期間は、1988年9月、八ケ岳高原音楽堂に300脚納入されるまでの二年間かかったことになる。
二年後の1990年1月、銀座松屋デザインギャラリーでの「たためる椅子」発表の後、同年八月に発売を開始する。この時期が第二期開発期間で、椅子が熟成していった時期である。専用スタンドも開発された。木部がナチュラル、赤、緑、黒の四色、シートは革が三色、麻ナチュラルの計四色で、自由な粗み合わせを選べるようにした。
特に、緑は吉村先生のお気に入りの色なのに、松屋での発表に間に合わず先生をがっかりさせたのが今でも悔やまれる。

04 吉村順三からの宿題

――――――――「独断におちいらないように、長い時間をかけたモノづくりから、時代を超えた本物が生まれるんだ。」(吉村順三)

「たためる椅子」以前から吉村先生は「たたむ」というテーマを追求されていた。1978年に「X型のフォールディングチェアー」で肘の革を持ち上げるだけで簡単にたためる椅子を、「仕舞える椅子」で座と背が後ろに回転して小さくたためるソファーを発表されていた。

「たためる椅子」もその延長上にあり、吉村先生の家具に対するライフテーマをそれらの作品を通して感じることができる。「たためる椅子」発表後も、「たためる寝椅子」の開発を同じ三人で継統していたし、「X型のフォールディングチェアー」「仕舞える椅子」の再開発の話も検討された。また発売後も「たためる椅子」の改良は続けられ今日にいたっている。

吉村順三が家具で追求していたテーマを言葉に置き換えることはたやすい。日本の風土に根ざし、日本人のアイデンティティに沿ったモダンデザインの提案。それは戦後のデザイナーに課せられた継続的テーマかもしれない。私自身もたためる椅子の先にあるものをつくり出すことが、吉村順三からの宿題だと感じているし、自分自身のテーマとも思っている。また、デザインの評価に時間をかけることは、独断に陥らないためにも重要であろう。
作業の手を休める時、吉村先生の言葉が聞こえてくる。「丸谷君、ここの部分をこんな風にしたら座り心地がよくなるはずだよ。次までに直しておいてくれよ」。

<参考文献>
・丸谷芳正「吉村順三が住宅設計に残したもの/たためる椅子_吉村順三からの宿題」
・鈴木恵三『日本の木の椅子』商店建築社。
・吉村順三『吉村順三設計図集』新建築社。
・資料提供-吉村設計事務所

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