スタニスラフ・ブーニン 

奏で語る ~八ヶ岳に還って

11年ぶりの八ヶ岳公演が遂に実現。
ブーニンの今に触れる。

2022年6月25日(土)
14:30開場 / 15:00開演

※開場時間まで、音楽堂エリアにはお立ち入りいただけません。

【プログラム】
第1部:ブーニン、今を語る。
〔インタビュアー:高坂はる香(音楽ライター)/通訳:浜野与志男(ピアニスト)〕
第2部:リサイタル〔シューマン:色とりどりの小品 作品99〕

※出演者・曲目・曲順など、内容が変更になる場合がございます。

●スタニスラフ・ブーニン(ピアノ)Stanislav Bunin

ソヴィエト・ピアノ学校の著名な設立者で、リヒテル、ギレリス等の巨匠を育てたG.ネイガウスを祖父とし、ポーランドの作曲家K.シマノフスキーの血筋を引くブーニンは、1966年モスクワに生まれた。 1983年、史上最年少の僅か17才でパリのロン=ティボー国際コンクール優勝。続いて、1985年に第11回ショパンコンクールで優勝。併せてコンチェルト賞とポロネーズ賞を獲得した。これを機に東西ヨーロッパ及び日本で本格的な演奏活動を開始、「ブーニン現象」と呼ばれる社会現象を巻き起こす。
 ブーニンの音楽的経歴の新たなステップは1988年ドイツへの移住とともに始まった。ザルツブルク音楽祭、ルツェルン国際音楽祭等、名高い国際フェスティバルに出演。またミラノ、ロンドン、パリ、ウィーンでのリサイタルも高く評価されている。1988年より東芝EMIと専属契約を結び、バッハ、モーツァルト、ショパン、ベートーヴェン他、これまでに10枚以上のCDを録音。これまでにNHK交響楽団との数回の協演、フランス国立管、ボストン響、ミュンヘン・フィル、ロンドン・フィル、ベルリン・フィル等、世界の主要オーケストラと協演。ショパン没後150年にあたり、1999年よりイタリアを中心とするヨーロッパ各地及び日本で全8回におよぶ〈ショパンチクルス〉をスタート。ショパン・イヤーの中でもその意欲的な企画は注目を集めた。2001年11月には締めくくりとしてワルシャワ・フィルと協演、ショパンコンクールの「再現」を果たす。2005年、ショパンコンクール優勝より20年を迎え全国11ヵ所で“オール・ショパン・ピアノリサイタル”を開催。各公演満席の盛況を博した。2007年秋のツアーではリサイタルの他、仙台フィル、アンサンブル金沢とベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を熱演、このアンサンブル金沢との協演は2008年6月にEMIミュージック・ジャパンより発売。2008年11月には日本デビュー20周年記念ツアーを全国で開催。2009年ワルシャワ国立フィルハーモニーとの日本公演もショパンのピアノ協奏曲第1番を協演、大成功に終わり、このライブ録音も2010年1月にEMIミュージック・ジャパンより発売された。2010年1月にはジャズピアニストの山下洋輔プロデュース「IMPROVISINGブーニン!」に出演、山下氏とのピアノ・デュオ、初のジャズ演奏を披露、注目を集めた。また、生誕200年を迎えたショパンの誕生日3月1日にはショパンが愛したピアノ「プレイエル」で演奏、TV、新聞、雑誌で大きく報道される。6、7月にはベルリン交響楽団との共演の他、生誕200年とブーニンのショパンコンクール優勝25周年を記念してチャリティ・ガラコンサートを開催。8月にはワルシャワで、アルゲリッチ、ダン・タイソン等も参加し、1ヶ月に亘って開催された「ショパンフェスティバル」の最終日にワルシャワ・フィルと「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」「ピアノ協奏曲第1番」を共演、そのトリを飾った。演奏後の拍手は鳴り止まず、満員の観衆を魅了した。秋には全国8ヶ所でオールショパンリサイタルを開催。大好評を博す。2011年5月、読売日本交響楽団と共演。7月には中村紘子、山下洋輔両氏をゲストに迎え、サントリーホールにて、「スタニスラフ・ブーニン・チャリティー・ガラ・コンサート」を開催、収益金はすべてあしなが東日本大地震・津波遺児基金に寄附をした。2012年4月には、NHK「TOMORROWbeyond3.11」に出演し、被災地・仙台三桜高校音楽部と共演。多くの人々の共感を得た。2012年、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会を支援するコンサート」開催。

主催:八ヶ岳高原ロッジ TEL:0267-98-2131